我が家&和賀家 25年

26/3/20

   藤守の次男坊家の子供が今度1年生に上がる。本当は会ってお祝いを渡したかったのだが、忙しそうなので藤守にお彼岸のお参りがてら渡してきた。
   今は保育園に通っている孫ちゃん、途中に卒園式はあるのだろうが、大掛かりではなく、今月一杯保育園、来月は入学式の前から学童保育に通うそうだ。確かに小さな子供1人で留守番せざるをえなくなる家庭があるのだろう。
   それでなくても大人の社会は年度末から年度初めで忙しい時、ようやくそこに目が届いたというべきかもしれない。

26/3/5

   大津の従妹から菜の花の絵手紙。
   今年は末っ子の長男が大学卒業。就職も決まり、全員無事社会人となりありがたい事です!!との事。

26/2/22

   高柳へお線香をあげに。
   霊前にはしっかりとお膳が上がっていた。次男氏が普段の食事をお供えしているらしいが「やっぱ、寂しいよ」と言っていた。
   納骨法事をどうするのかと気になっていたのだが、家族でしますとの事だった。
   ちょうどお彼岸前にかかり、お寺さんの幼稚園の行事(多分卒園式)もあるので日程は調整中らしかった。

26/1/30

   高柳の叔父さんの葬儀。朝は保福島の叔母さんを迎えに行って一緒に行った。
   今日も受け付けはお葬式にも出て下さったご近所の方が1人手伝って下さったが、お返しの品をそのまま渡すので結構忙しかった。
   早い時間の葬儀だったが、親族だけなので程々の時間に皆さん集まって、今日はお坊さんも3人見えての式だった。昨日もお坊さんが写真を見ながら言っておられたが、戒名は耕尚仁徳清信士。享年は95歳。葬儀から初七日のお勤めまでして出棺。
   普段使っていた靴や上着、おやつなども入れ、供えられたお花を使ってたくさんの花がお棺に納められた。また、庭の柑橘や梅の花なども納められた。この頃には朝用事があった保福島の娘さんも合流。
   今回もそれぞれ自分の車で火葬場へ。遺族の人数が足りずに骨壺を預かってしまったために、必死で霊柩車について行った。
   待ち時間はO家の人達としばしのおしゃべり。築地の従弟が体調を崩して「体重も血圧も危険なほど下がってしまった」と怖い事を言っていた。そもそもはちょっとランニングを頑張ったらしいのだが、十二指腸が締まってしまい胃液が流れなくなったと言っていた。体重はもっと増やしたいところだが、血圧はちょうど良い所で安定しているそうだ。
   保福島の従妹はコロナの後遺症が足に出たとかで医者通いをしているそうだ。
   我々がこんな話をしだす中高年になってしまったのだから、叔父さんもずいぶんと長生きをされてきたわけだ。しかし、農業や大工をされていた叔父さんだけあって、高齢になっても十分に骨がしっかりとしていた。
   収骨を終え、位牌・写真・お骨を引き取ってこの場で今回は解散。葬儀社さんが祓いのお食事の折とお花を届けてくれて、ここで分けてくれた。
   喪主は忙しいのでずっと預かっていた香典、車の前で渡そうとしたら、ご本人はすっかり忘れていたようで車を出しそうになって、慌てて窓をたたいて渡す事になった…。
   

26/1/29

   高柳の叔父さんのお通夜。
   お通夜の前に昼過ぎからの納棺が子供達兄弟だけだというので賑やかしの援軍に行った。葬儀までの待ち時間が長いので、すでにエンバーミングされているのだが、納棺師という方が2人で見えて着物を着せ、顔色などを整えてくれた。その後は手甲脚絆などいわゆる旅立ちの準備。皆でお棺の中に移した後はその中で落ち着くように細かい調整をして、杖やお数珠・笠などをまわりに納めていく。1時間近くかかったお支度だった。
   その後で会館のホールのスペースに叔父さんがディサービスで作った作品や写真、トラクターに乗って田を耕す最後の写真(2019年)などを一緒に飾った。
   1度家に戻って夕方からお通夜。結局受け付けは近所の方が2人入ってくれて、3人でのんびりと。ご近所の方と親族などで30名位の弔問だった。
   お経とお焼香の後、お坊さんがお血脈と戒名の話をしてくれた。
   お経の間は受付を閉め終わってから頂くお香典もあって、お香典を受け付けるのとお返しを渡すのとで、しばらく忙しかった。

26/1/24

   高柳の叔父さんが今朝亡くなったそうだ。もっとも「看取ったのは一緒に寝ていた猫だけ」だったらしい。
   かなり老衰も進み、足元も不安になって、そろそろディサービスも終わりにして家で介護をする準備を進めていたそうだが、まさかそこで亡くなるとは思っていなかったらしい。
   楽しんで通っていたディサービスの作品などが叔父さんの部屋にもたくさん飾られていた。弔問に来てくれたディサービスの方が、「何時も楽しんでプログラムに参加してくれたし、この地域の昔の話もたくさんしてくれた」と話しておられた。
   流れで葬儀屋さんとの打ち合わせにも加わってしまったが、「昔の写真とかが出てこない」と次男氏。遺影はディサービスで撮った写真から選んだ。今はプリントではなくデーターでもらえて、その中から良いものを選び、そのままパソコンでかなりうまく加工できるようで便利になった。
   ところで最近は近所の方に土人衆をお願いする風習もなくなり、葬儀屋さんはお金にノータッチという事で、受付を出してほしいと言われ困ってしまった。受付で頭を下げるだけでなく、頂いた香典の管理をするには数人必要なのだが、果たして身内でそれだけの動ける人数を出せるのだろうか。
   帰る段になって叔父さんにお線香をあげようと部屋に入ったら、焼香台の前の座布団に猫がチョコン正座していた。

26/1/3

   昼頃に藤守の次男坊一家が年始の挨拶に登場。予定していなかったので座ってもらう場もなく、猫達を総動員して娘ちゃんの相手になってもらった…。
   午後、昨日留守だった大の叔母さんを訪ねた。娘さんの所に泊りがけで行っていたそうだ。ようやく上の孫君に結婚話が出てきたらしい。下の孫君も民間会社に転職してバリバリ働いているそうだ。

26/1/2

   正月恒例、O家・Y家系の親戚への年始回り。
   まずは保福島の叔母の所から。丁度一回り年上なのだが、車の免許を手ばしてから「病院へ行くのも不便で…」と嘆き節。お元気そうだが「耳が、足が…」と色々大変らしい。ここからジュンちゃんの実家へ。お母さんはお元気で足取りも軽くシャキシャキと出て見える。「今日はジュンちゃんが来るはずだから」と楽しみにされていた。「暖かくなったらどこかへ出かけましょう、誘って」と楽しそうだった。
   次は築地。長女家は遠いので今年は見えていなかったが、次女夫妻と長男夫妻で集まっておられた。
   さらに高柳へ。家の前が極端に細道なのだが、「車が小さくなったし、乗り慣れたし」と、しばらくぶりで通ってみた。皆さんそれなりにお元気そう。叔父さんも歩行器につかまりながらだが、出て来てくれた。もともと農家だし庭木も多く、相変わらず猫も庭でまったりしていたが、「さすがに熊は出ないから」と三男氏の冗談。次男氏はだいぶ家の仕事に慣れてきたようだった。
   ここから小土へ。「味覚が分からなくなって10kg痩せた」と小土の旦那。背の高い人なので余計にほっそり見える。最近はダンナ2人で病気自慢が始まるのだが、年齢的にそろそろ冗談でもなくなりそうだ。
   そして最後にマーミ宅へ。「ようやくお墓の花を立てたよ」とお疲れモードでジュンちゃんはこれから実家へ行くつもりのようだった。

26/1/1

   藤守の末っ子一家は今日来るという情報を12/30に仕入れたので、顔を見に行ってきた。
   こちらの子もずいぶん大きくなっていてビックリ。何故か今になって人見知り気味。それでもすぐに慣れてきた。
   昨年暮れ近くに静岡市に引っ越したそうで「もう大忙し」とママはグロッキー気味。パパは4月から日赤に転勤?だそうだが、それまで浜松まで通勤するらしい。
   藤守の母さんと長男坊も元気そうだった。猫は何故か末っ子家(ここも猫がいる)は大丈夫のようで1人前に参加していた。

25/12/30

   今年も恒例のマーミ宅での餅つき。
   「今年は少ないよ」という事で早く終わるかなと思っていたのだが、スタートが遅くて結局同じような時間。
   今年は藤守は次男一家が登場。娘ちゃんがだいぶしっかりして、お母さんとお餅を搗く方を楽しんでいた。(機械ですが…)
   もち米も高騰という事で、伸餅は少なめにお遣物用のおさんこちを2臼。
   戻ってTANUKIが切ったものを横浜行きで2荷物。宅配さんがずいぶん空いていてビックリした。

25/12/29

   天王寺の従妹から「十勝の従妹が来たよ」と写真付きメールが来た。
   写す角度にもよるのだろうが、十勝の子があまりにも十勝の叔母に似ていてビックリ。
   ついでに天王寺の子によると「彼女の彼氏、東京の従姉の旦那さんに似ていると思う」、類は友を呼ぶのか…。

25/12/26

   珍しく連島の従弟から電話。
   ここ数日で急に寒くなったようだが、叔母さんも含めて皆元気らしい。

25/12/7

   ジュンちゃんの実家に暮れのご挨拶。ご両親ともお元気そう。あまり早くに返事があってビックリしたが「ごめんなさい、娘がそろそろ来るはずで…」とお母さんは朗らか。
   「もう、来て頂いても…」とは言われたが「こんな機会でもなくちゃ、お互いに元気かどうかわからないものね…」と「お正月も元気でお会いしましょう」と言ってきた。

25/12/4

   十勝の叔母から電話。「最近食が細くなって…」と言いつつ、「フルーツは大好き」だそう。
   瑞穂の従妹から「犬も一緒にみかん食べてるよ」とメール。犬ってみかん食べるのか…。
   埼玉の叔母からも私の留守中に電話が来たようだった。

25/12/3

   日比の叔母から電話。「また耳が遠くなって」と、こちらの言う事がどれほど伝わったのかは分からないが、用件だけ言ってきた。それでも声は元気そうで良かった。
   横浜の義姉からも電話。「リハビリに通ってるの」というのがディサービスでの事らしい。

25/11/27

   大阪に居る十勝の従妹からメール。
   いろいろ事情があって前の職場を退職、今まで取れなかったまとまった休みのつもりで、心身を整えながらパソコン教室に通っているそうだ。

25/11/13

   岩手で少し大きな地震があったので盛岡の従弟にメールを入れたら、「地震は大丈夫だけど、熊が…」との事。町の中でもいつ遭遇するか分からないような状況らしい。

25/11/10

   お葬式の事は何も言われなかったので良いのかと思ったら、昨夜、家に帰ってから動員がかかって今日はお葬式。
   9時半集合で出棺のお経、昔日の野球少年はキャップやグローブ、高校時代の甲子園出場の冊子などと好物の食べ物などとともに旅立った。人数が少ないので、それぞれ車で火葬場へ。「先に行って霊柩車をお待ちください」と言われたが、皆さん霊柩車とほぼ一緒の到着だった。
   火葬炉へ送り出す時に息子さんが「お父さん、ありがとう」と大きな声で送り出していた。
   お凌ぎを頂きながらの待ち時間、今日の会葬者が子供さん家族以外は喪主さんの親族(生まれてじきにご両親が亡くなったのでお母さん方の親族に育てられたという話は以前聞いたが、その関係の兄弟みたいなものとの説明だったので)のようだった。ちなみに我々は彼女とは戸籍上の遠縁の親族。
   お骨あげの後は祭場に戻ってお葬式と初七日のお務め。
   最後に一休みをしながらしばしの時をお孫さん達と同じテーブルで過ごした。お父さん達がこの前学校を卒業した、結婚した、子供が生まれた、と言っていたと思えば、もう一番下の子が大学受験生。その子も入試が無事に終わったようで、卒業まではのんびりできるらしい。
   結局1日がかりのお葬式だった。

25/11/9

   下記親戚のお通夜。子供さん達とも年賀状だけのお付き合いだし、私に分かるのは喪主さんとマーミ夫婦の他はTANUKIが連絡を取った築地と保福島の従弟だけ。
   家族葬に近いスペースだったが、部屋は満員。追加の椅子を出してもらって座ったが、屋内の人達のお焼香の後、外で待っていた皆さんがずいぶんとたくさん次々とお別れに見えた。
   85歳になっておられたそうで、亡くなったのは本当に急だったようで、お棺の中の顔も昔とあまり変わらず、やつれた様子でもなかった。
   真言宗のお葬儀は私は初めてだったかもしれないが、お経が違うので何をしている所なのかがよく分からなかった。戒名は誠篤武照信士

25/11/5

   3日にO家の港の叔父さんの妹さんの旦那さんが亡くなられた。回りくどくなるのは、もともと港の家が義父の叔父さんに当たる家で、跡取りが欲しいという事で次男の叔父さんが養子に行った。その後だいぶ年が離れて後妻さんにできたのが妹さんという事だが、お互いに市内に居るので私が来た頃には、皆おおざっぱな親戚という事で行き来していた。何しろ冠婚葬祭ともなると山ほどの人が自宅に集まる時代だった。
   そういう訳で、彼女にはお姉さん分としてずいぶんとお世話になった。
   ずっとご夫婦で飲食店をしていたのでそちらでも随分とお世話になっていたが。
   昨年の静岡のおばさんのお葬儀の時に、あまり体調が良くないと聞いていたのに、とうとうお見舞いにも行かずじまいだった。
   ご冥福をお祈りしたい。

25/10/25

   日比の次男坊は抗がん剤のワンクールが終わって様子見中らしい。「髪も生えてきたし…」と何となくホッとしている様子。
   癌も治る病気にはなってきたが、気は許せないし、暑さ寒さも体には毒だろうから、気を付けて過ごしてほしい。しかし、大事にするあまり、やりたい事を後ろ廻しにするよりも攻めの姿勢でいってほしいものだ。

25/10/22

   十勝の叔母から娘が彼氏を連れてきたと写真を送ってきた。大阪からわざわざ十勝まで行って、「そのまま泊まりもしないでとんぼ返りで帰った」と少々呆れ気味…。

25/10/4

   静岡のおばさんの1周忌。私は午後に用事を入れてしまったのでTANUKI1人。それならと施主さんがこちらも1人だからと車で迎えに来てくれた。
   静岡のおばさんはこの家の最後のお1人で相続される方が無く、家については国庫に納めたそうだ。お葬式の費用は結局おばさんの遺産から出すようにしてもらったそうだ。

25/9/23

   お彼岸の中日なのでお参り。
   マーミ宅は午前中留守で、お墓のお掃除もしていなかった。とりあえずお線香だけあげてご先祖様にご挨拶。そのまま藤守へ。
   藤守は2人で在宅。先日の台風では藤守の名前もずいぶん出ていたが、「しばらくすごい風だったよね」と言うものの無事だったそうだ。
   長男坊が見た事のない程日焼けをしていたので「どうしたの」と聞いたら、お寺さんの草刈りに動員されてたらしい。今日も子供連れの弟妹家族はまだ居なかったので猫ものびのび。
   夕方、マーミ宅へ。マーミがタバコの臭いの中でゴホゴホと咳をしていた。実際に体調もいまいちらしく、お彼岸どころではなさそうだった。
   ところで、しばらく前に静岡のおばさんの1年忌の連絡がラインであったのだが、TANUKIが1日と言っていて「平日か」と思っていたのだが「4日だったろ」とマーミ。どうすればその見間違えが起こるのかとあきれた。マーミは用事があるというし、私も用事を入れてしまっていて、さてどうしたものか…。

25/9/12

   昨日は横浜や東京都心など南関東を中心に大雨。午後からテレビを見ていたら農大の近くや川崎など何となく知っているような所や、大昔のバイトで都の中小河川の改修情報の塗り絵で出てきた川が次々と溢れそうになっていて、気になってずっとテレビを点けていた。
   幸い大田区の従妹は「雨も雷もすごかったよ」というものの無事、夜に入って電車も動き出したようだった。
   世田谷のはとこは「ちょうど事務所にいて雨を避けられた」との事。彼女は外回りの仕事をしているのでちょっと心配だったが…。
   TOPPOさんは「雷は華々しかったが、雨はちょっとだけ」だったそうだ。

25/8/23

   十勝の従弟の長女が結婚内祝いを送ってきた。ごく幼い頃に2回しか会っていないのだが幸せな生活を紡いでほしい。

25/8/15

   午後、ようやくマーミ宅にご先祖様へお線香をあげに行った。
   午前中にお花を買いに行ったようだが、お供えはまだこれから。
   今年は盆棚も作らなかったようで、それでも仏壇の中はかなり整理をしたようだった。

25/8/14

   マーミ宅へお盆のお参りに行くが2人とも留守。
   マーミは今日も仕事で、今日から休みのジュンちゃんは実家の様子を見に行ったようだ。
   当然お墓もそのままなので、とりあえずお墓の掃除をして小規模に花を立てておいた。
   TANUKIがせっせと迎え火を焚いているので、仏さんは我が家に合流して寛いでいる事にしておこう。

25/8/13

   藤守へお盆のお参り。
   珍しく長男がお出かけで母さん1人。実は母さんは本日夜勤で夕方に留守番交代だそうだ。孫ちゃん達も来ていないので猫は家の真ん中でのびのび。しかし、仏壇のお盆のお供えの牛馬の餌にちょっかいを出していたが…。
   カーテンまで閉まっていて、一瞬留守?と思ったのだが、部屋の中を効率的に冷やすために、日の入る方を順に閉めているそうだ。それでも「猫が日の当たる所に時々いるんだ」と笑っていたが。
   マーミの所は2人とも多分それぞれに留守。まだ仕事か…。
   午後にTANUKIの築地の従姉夫妻が家に寄ってくれた。「もう築地の実家に姉弟で集まる機会もあまりなさそうで」と作っているフルーツを頂いた。

25/8/4

   ハワイの従妹からようやくメール。津波騒動はハワイでも起きていたようだ。
   たまたま街に出ていたようで、やはりスマホのアラームの大騒ぎから始まって、その内に町の緊急のサイレンも鳴りだし、お店が閉まったり大騒ぎになったようだ。渋滞には巻き込まれたが、無事に家まで帰りついたようでまずは良かった。
   しばらく波は高かったようだが、ようやく収まったそうだ。

25/7/24

   こちらより高温の北海道の親戚にメールで暑中見舞い。
   十勝は普段は番犬のワンコも屋内避難だそう。叔母が母同様にクーラー嫌いで家族が心配をしているようだ。
   札幌のはとこも『東京同様の熱帯夜…。』『夏は(^^)涼しい北海道は、どこかへ行ってしまいました(>_<)』の様子。
   どちらも居間にはエアコンが入っているが、全室にあるわけではなく、大変なようだ。

25/7/22

   母方の親戚通信『和賀家の通信』、岡山の叔母の所へ出しているのが宛先不明で戻ってきた。
   叔母も90才過ぎの高齢、従弟もあまり親戚付き合いに積極的ではないので、静観しようかと思う。

25/7/20

   埼玉の叔父と叔母・従弟夫婦とその末っ子家族が来てくれた。
   今回の発案は叔父らしく、こちらから行こうと思っていたのだが、なかなか行かれず、一昨年1度倒れた叔父の方が元気な内にと来てくれたようだった。1日おきに透析はしているが見た目は元気で、足がだいぶ弱りはしたが、「家の前の階段を上り下りできないと透析のお迎えの車に乗れないから」と言われて頑張って歩けるようになったようだ。タバコも相変わらず吸っているようだった。
   叔母も「動き出しがね」と足腰は辛そうだが、良くしゃべるし、元気そうだった。
   従弟夫婦も元気そうだが、従弟はコロナの最中に心臓のカテーテール手術をしたそうだ。
   末っ子一家は「結婚の挨拶に」と言っている間に「つわりが来ちゃった」で日延べになっていた子が、もう走り回るようになっている。
   長女家は子供達がもう小学生と年長さん、次女家にも男の子が生まれたそうだ。
   朝早くに出て来てくれて、お昼を食べて少し休んでとんぼ返り、上皇様と同い年の叔父と、まだ小さな孫ちゃんとを連れての大変な旅だろうと思う。

25/7/8

   十勝の従弟からメール。十勝も6月後半から連日の30℃越えだそうだ。出張で行った金光と気温だけなら負けていないが、湿度が低いぶん十勝は朝晩は楽だそうだ。

25/7/7

   横浜の義姉から電話。「体調はまあまあ」とこちらを気遣ってくれるが、「動きにくくって」は実感らしい。それでも昔のように焦って「片付けなくちゃ」と言わないで、のんびり過ごしているようなので良かった。
   長女は元気にイラストの依頼を受けるなど好きな仕事をしているようだ。「朝早くから夜中まで忙しい」生活らしい次女は「熱を出して今日はダウン」らしい。

25/7/6

   半年ぶりでジュンちゃんの実家へご挨拶に。
   ご両親とも年齢なりにお元気でホッとした。お父さんはちょっと足が動きにくいようだが、お母さんはお元気そうで相変わらず朗らか。ただ、ディケアに通われているのはお母さんの方なのだが…。

25/5/18

   十勝からメール。今年は桜の花に雪が積もったようだ。89歳の叔母は運転免許更新をしたそうだ。確かに車が無ければどこにも行けない土地柄だが…。
   瑞穂の従妹からもメール。「今年こそ花火を見に行きたい」と言ってきているが、はたして夏休みの予定はどうなる事か…。

25/5/16

   日比の叔母から電話。相変わらず「片付かなくて、片付かなくて…」だが、長男の嫁さんが戻って来てくれて、お勤めもすぐ近くに見つかったので、食事の支度などはやってくれるので、「ご飯が楽しみ」だそうだ。
   また転んで頭を打って、傷を縫ったと言っていたが、大きな症状は無いようで良かった。
   横浜の義姉からも電話。「どこも悪くないし、元気だと思っているんだけど」お医者さんから入院を勧められているらしい。みのもんたさんと同じ病気らしいとの事だが、それほど大きな症状は出ていないのだろう。
   娘達もそれぞれ好きな仕事に力を入れているようだ。

25/4/26

   大阪みやげを持ってマーミ宅と藤守へ。お昼前だったせいかどちらも在宅。
   マーミ宅では玄関内外のガラクタを「連休中に何とかしなくちゃ」と言っていた。
   藤守では母さんの勤めている高齢者施設でコロナ患者が結構出ているらしい。介護する側にもウイルスは遠慮なく取り付いて「手が足りない」らしい。もっとも、インフルエンザも頻発して「何が危ないとも言い切れない」状況らしい。

25/4/22

   天王寺で会った和賀家の皆さんのニュース。
   本家のお兄さんから綺麗なツツジの写真をたくさん見せて頂いた。昨年の写真がほとんどのようだが、金光教本部の裏山にツツジを植えて皆で世話をしているそうだ。色々な種類もあるようで、花期も長く楽しめるそうだ。
   新津の長男家は長男も結婚して子持ちになり、7人の孫がいるそうだ。ようやく女の子が生まれ「もうプリンセス!」とニコニコしていた。彼はやりたい事は出来るうちにやっておこうとお正月には日比を訪ねたし、今回も天王寺に来たと言っていた。そういえば20年くらい前の連島のお年忌で、ここの末の男の子と天王寺の男の子が一緒になって走り回って遊んでいた思い出話などもしていた。
   田原本の長女がお直会の最後に謡『千秋楽』を披露した。大学時代にやっていたはずで、昔々、彼女が学生の頃「発表会がある」と誘われて大阪へ遊びに行く途中で行く気になったが、雪で名古屋で大渋滞に阻まれ、たどり着けなかった思い出がある。

25/4/21

   本日も天王寺は大忙し。まずは孫ちゃんの保育園通園。昨日はしゃぎすぎて寝起きのご機嫌がいまいち。しかも以前の教会の側なので電車に乗ってみんなで送りがてら旧教会(写真)を見に行った。今日から内部の要らない家財などの運び出しが始まったようで、大勢人が来て玄関前に山積みになっていた。
   1度戻って今度は親教会へ落成式終了と昨日お世話になったお礼のお参り。せっかくなので付いて行った。今度は行きはタクシーで。こちらも新築移転したばかりだそうだが、珍しく、大きな通りに面した建物で、タクシーの運転手さんのランドマークになっているようで、住所は出なくても、「分かりますよ」とおっしゃって車を出してくれた。ナビを使うと車を横付けできるように行くそうだが、「道路の反対側になるけど分かりますよね」と降ろしてくれた。これでだいぶ時間も料金も違ってくるそうだ。お参りをしてお昼を食べて帰りは地下鉄で。
   留守と片付けの助っ人に教会関係筋の姉妹が来てくれたが、天王寺の親子はまだ出かける用事があるようで、私も昨日の片付けを手伝う事にして、洗い物などをして主の帰るのを待たずに3時頃に教会を後にした。
   タイミングが悪くこだまに乗ったので、しばらくぶりで掛川から帰ってきたが、静岡まで行ってもほとんど時間的には変わりが無いし、新幹線の方が空いているので、やはり静岡まわりの方が楽そうだという事が分かった。
   駅でタクシーが捕まらず歩いて帰ったが、それでも7時を回った頃には帰りついた。
   

25/4/20

   天王寺教会の新築落成のお祭りに行った。駅にして数駅変わったが同じ天王寺区内。しかも最寄駅からはすごく近くなってありがたかった。娘さんが駅からの動画を送ってくれたので、細い道を迷わず進んだが、お隣も宗教団体のビルで似たようなマークを使っておられ、一瞬間違えたかと焦ったが、その手前に大勢人が居られた所がそうだった。
   宗教団体はどこも今はそうなのだろうが、普段は人少なだがこういう時の団結力はすごく、多くの皆さんが集っていた。また建築に当たった積水ハウスの方も見えていて、ご挨拶があった。
   和賀家系は本家のお兄さんと新津の長男夫妻、田原本の長女が来ていたが、田原本はほとんどスタッフ。それでもお直会のパーティーでは少し話ができた。
   2時のお祭りで場所の移動もあったので、4時からのお直会、それでも6時頃には終わったので、あまり慌ただしさはなかった。
   帰ってから新居の中を見せてもらったが、もちろんお広前も立派だし事務スペースやお道具を仕舞う場所、2Fにもホールや先生方の着替えなどに使える広い和室もあるが、住居部分が充実して、2F、1Fそれぞれで2所帯住居となっていた。物入れスペースもあちらこちらに充実していてこれは羨ましかった。住居側に鍵を付けて公私が分けられるようになったが、みんな同じようなドアで慣れるまで時間がかかった。1Fの裏口にプクチャン(犬)、2Fはラッキー(猫)と住み分けて、階段の上と下で見つめあっているのが可笑しかった。
    

25/4/17

   昨夜、日比の叔母から電話をもらった。
   何事かと心配してしまったが「少し元気になったのよ」という事でホッとした。それでも転ぶことが多くなったとぼやいていたが…。
   年度末の事務作業は東京から娘が助っ人に来てくれて無事に終わったそうだ。
   いろいろ事情があって単身赴任になっていた長男の嫁さんも今月から日比に落ち着いたようで、「狭くて気の毒だけど、物置を片付けてもう1部屋足す」まで仕方がない」らしい。

24年