ちょっとした感想   

25/2/22

   ダブルヘッターの法事で岡山まで行くことになった。
   親戚泊まりなので普段ならなるべく荷物を減らしていくのだが、この寒さ、さらに黒のスーツだけで過ごすわけにもいかないので、着る物でどうしても荷が大きくなってしまう。自分のバックには入り切れず、母のを探し回ったのだが、何故か父が使っていたものが出てきた。
   父かが亡くなって16年、そのしばらく前から旅行もしていないし、さらにこちらに来てから母と出かけるために買ったバックだろうから、ざっと40年近く経つものかもしれない。とりあえず、底が抜けたり破れたりも無く、ファスナーも動くのでこれを借りることにした。

25/2/19

   スーパーのお米の棚は相変わらず在ったり無かったり。値段は5kgで昨年より\1.000近く上がっている。ついでに関連するお弁当やお寿司なども値が上がっている。お江戸の頃なら打ちこわしが始まってもおかしくない状況だ。
   さすがの農水省も備蓄米の放出を決めたようだ。3月には出始めるというが、果たして人々が納得する状況になるだろうか。「3月では遅い」という識者も居るが、その時点でどの程度の値動きがあるかで農家さんは苗代の準備を始めるだろう。
   それはともかく、子ども食堂なども運営に苦労し、しっかりとご飯も食べられない子育て世帯が増える中で、私立高校の授業料無料化の所得制限を外すというのはどうなのかと思わずにはいられない。高校教育は私立にゆだね、公立高校を減らしていくというのならば1つの手段ではあると思えるが。
   ただし、就学援助金を使って私学の高校から大学へ(例えば法律家・教員・医師・研究者などをめざして)進学する子供達は卒業時に膨大な借金を抱えて社会へ出る事になる。自分の子供を育てるどころか自分の借金返済で時が過ぎていくのは、国の在り方として正しいとは言えないのではないだろうか。

25/2/16

   家の塀の外側がゴミの集積場所になっている。
   近くて便利ではあるのだが、その分、色々と気を遣う事もある。
   以前はカラスのゴミ漁りが1番の頭痛の種だったのだが、環自協さんに蓋つきのかごを置いてもらった事で、だいぶ襲われなくなった。その代わりに立体の入れ物なので、収集できないゴミを積み残されると片付かないまま、次のごみの日の前にゴミを置いて行く人がいて、どんどん片付かない状況が続いてしまう。(中が空になれば畳めます)
   燃えるゴミ(周2回)と容器包装プラスチックごみ(周1回)の3回、当日朝に出す事になっているのだが、だんだん守られなくなっている。ゴミの出し方は全市で毎年小冊子が配られるほど周知されているのだが、ルールを守らずごちゃまぜで平気で出す人があるのが困りものだ。
   外の紙袋は缶やペットボトル、何方かご近所さんが見かねて、ごちゃまぜのゴミを仕分けてくれたのかもしれない。

25/2/5

   埼玉県で道路が陥没してトラックが飲み込まれてから1週間、大きい下水道管が破損して、まわりの土を飲み込んで落とし穴ができたための事故らしい。転落した時落ちた運転手さんは生きておられたようだったのだが、いまだに救出できずにいる。ご家族にとってはなんとも辛い事だと思う。
   故郷の三鷹市ではちょうど私が中学に上がる前あたりから全市に下水道を作ろうと盛り上がっていた。市役所の前にはそれこそ小屋サイズの下水管のモニュメントが置かれていた。それから半世紀以上、いくらコンクリートの構造物でもガタがきているだろう。各地で点検も始まっているようだが、自治体の手に余る所も多いようだ。
   例えば、自動車会社などが地上を走らせるだけで地下構造物の点検ができるような車両は作れないのだろうか。今の車の安全装置を見ると光学機器を扱っている会社と組んで、あと一息で作れそうな気もするのだが…。
   インフラは作って終わりではなく、使い続けられるように丁寧なメンテナンスが大切になる。国土全体・国民全体にかかわる仕事は国もしっかりと手を出すべきではないだろうか。

25/2/1

   NHK大河ドラマは見ていないが、『べらぼう』の主人公・蔦谷重三郎は江戸のメディア王としてのイメージを持っている。主に高橋克彦氏の『写楽殺人事件』という小説の影響だが、彼のこの時代の政治状況そのものが写楽を生み出したという説は面白かった。江戸川乱歩賞を取った作品だが、現代を舞台としたミステリーはさておき、写楽とその時代背景を紐解いていく謎解きは面白かった。
   蔦重の活躍した時代はちょうど田沼時代からその少し後に当たる。今年の大河ドラマで相良の殿様であった田沼意次の新しい評価が出てくればそれも楽しみだ。(地元では評判のいい殿様なのだから…)

1月    3月