25/12/24
本日は来年の年賀状作り。
イラストこそ先に探していたが、宛名書きをして、裏面を作って刷って、ほぼ4時間程度で終わってしまった。昨年、年賀状じまいの挨拶付きで賀状を出して、今年は年始回りをする親戚はカット、あまり会えない親戚やOB会がらみの人、仲良しだけにしたので、数もだいぶ少なくなった。
郵便屋さんも忙しい時なので、特に宛名が読みやすいように裏表完全印刷だが、通り一遍で気持ちがこもっていないわけではない。
まず、連名で出すか、個人で出すか、農大のOB会関係の人の所には『農大リンクニュース』のURLも入れるし、相手によっては住所だけでなくメールアドレスも入れる。
本当に必要な所には『旧年中はお世話になりました』も書くが、後は『ご健康とご活躍を祈ります』で済ましている。体調を崩している人には『お加減いかがです』も加える。
そんなわけで、宛名書きをしてから文面によってもう1度仕分けをする。中には1枚だけというものもあるが、1枚ずつよりも効率がいい。
それでも今回気が付かなかったのが、住所印刷で親戚の分だけ相手住所と一緒に自分の住所氏名を入れてしまった事。本来裏面に入れるので、表には書かないのだが、切り替えを忘れていた。しかも自分が使っているものなので、TANUKIの親族の分まで私の名前で入ってしまった…。以前なら書き換えようかと思う所だが郵便料金も高くなったし、裏面に連名で入っているから良いにした。住所録もあまり数が多いと探しにくいので、いくつかに分けているのだが、他は気が付いて良かった。
25/12/20
昨日、FFFTPというホームページをアップする無料ソフトを探し出して手に入れた。
ダウンロードして開いてみたら、昔々、このホームページをスタートした時に使っていたソフトの後継のようだった。すっかり忘れていたが、スタイルやシステムはあまり変わっていないようだ。開発者の方がずいぶん前に手を引いて、有志で改良を続けているらしいが、とにかくアップしたらできたので、しばらくまたお世話になろうと思う。
それにしても、パソコンのシステムなど何も知らずにホームページ作りに手を出してから20年以上、パソコンやインターネットの世界もずいぶんと様変わりをしたが、自分がまた飽きずにこのページを作っている事が何よりの驚きかもしれない。
25/12/19
浴槽のお湯が上手くたまらないのを見てもらうのに業者さんに来てもらった。
栓は確かに壊れているが水抜けではなく、給湯器の方にも問題があるのではないかという事だった。
そもそも給湯器はリフォームよりも前から使っている年代物。以前にガスの点検に来た人にも「そろそろ壊れることを覚悟した方が良いよ」と言われていた。湯沸器としては十分に働いているが、お風呂に溜める水の量の調整が時々狂うらしい。今回はどうしても20cm位しかたまらなかったが、以前に溢れるほどになっていた事もあった。それを考えるとずいぶん前からこの機械、認知症の兆しがあったのかもしれない。
栓そのものも栓を開け閉めするボタンの所から直さなければならないようで、結構大事になってしまった。こちらは年内に終わりそうだが、この際、お湯も作れなくなる前に給湯器の買い替えも検討しなければならないだろう。
25/12/17
12/15からTOPPOさんが登場。名目は阪神のリーグ優勝の祝勝会。もっとも腰砕けで日本シリーズはぼろ負けであったが…。
大昔、テレビで野球ばかり見ていた頃、TOPPO氏が贔屓の巨人、TANUKIが大洋ホエールズ以来入れ込んでいる横浜、私も昔からの阪神ファンという事で、このどこかのチームが優勝した時は勝った人がおごる祝勝会をしてきた。
昨年の優勝が横浜で、延び延びになっていたTANUKIの優勝おふるまいを6月にやったノリで、今回は私が誘う事になった。
現役時代、「ご隠居さんになったらのんびり遊ぼう」と言い言いしていたのだが、今でもスケジュール調整は難航、あまり押し詰まらない内にと、ここになった。現役時代と変わらず、お互いにこれを励みにせっせと仕事をこなす事になった。
丁度昼前頃に着いたTOPPOさんを駅で拾って、まずは玉露の里へ。
玉露の里の食堂・茶の花亭の冬の名物牡丹鍋を食べに。豚肉より少ししっかりした肉質だが、臭みもなく、大きな肉がたっぷり、名産の椎茸も入っている。もっとも野菜も入っているが鍋の中心はうどん。その上にご飯もタップリついている。私はご飯を半分程度しか食べれなかったが、お二人さんは雑炊にしたり、汁掛け飯にしたり、ご飯までしっかりと完食。
腹ごなしは玉露の里の散策とお茶ではなく、そのまま車を走らせせて、島田市大代の藁の大干支へ。来年は午年。立派な馬ができていいた。
平日の真昼間でも結構見物人は多い。多くが年賀状用に自分も入った写真を撮っている。
出店もにぎやかでお茶屋さんや木工細工、農産物、さらにここ特製のカレンダーも売っている。お店の人と話をするのもちょっとした楽しみになっているのがTANUKI。
夕方早めに家に戻って、夜はいつものよし寿司の出前を頼んで早めのクリスマス。
「お腹が重いね」と言いつつ、お風呂の湯を入れようとしたら、湯が溜まらない。このところ時々起こっていたが、いよいよ風呂桶の中の栓がダメになったらしい。我々はあきらめてシャワーで良しとしたが、最後に入ったTANUKIは力業でお湯をためて(栓を押し付けながらお湯をため、最後は水圧で)入ったようだ。
翌16日はいよいよ御前崎で祝勝会。今回も混む前の11時到着を目指して10時頃に出発。平日の昼間は道路も空いていて、しゃべりながら運転するのにも気が楽。
道中の海沿いの道も堤防がどんどん高くなって、ロケーションはつまらないが無事に到着。まだ店も空いていて、すぐに座れた。しかし、注文をして待っている間にちょうど良い時間に。
TANUKIは「刺身」と刺身たっぷりのなぶら定食、我々は普通の刺身定食に太刀魚の石焼を付けてもらった。実はこの太刀魚、こちらの定食より値が張る。しかし、丸々太い切り身のふわりと焼き上がった身はとても美味しかった。ただし、2人からTANUKIに半分ずつ分け前を出し、結局 TANUKIが1切れ丸々食べた事になるのだが、こちらもその位の分量で持て余さずに全部を美味しく食べることができた。
食べている間にどんどんお客さんもたまって、待っている人もあるので、早々に出発。ネズミ塚の駐車場から灯台までTOPPO氏と散歩。静かな時間帯で、会ったのはお散歩中の犬と家の前で留守番をしていた猫だけ。TANUKIはベンチに座り込んだが、帰って来る頃には風の除けられる垣根の側にいた。
海沿いの道をドライブして、そのまま帰り道。かなり早く焼津に着いたので、「最近全然会わないけどTOPPOさんは元気かい?」とついこの間カンマ氏が言っていたので、家に寄ってみた。お母さんはディサービスに行っていて1人で退屈していたらしく、しばらくおしゃべり。野菜を頂いてきた。
家に戻って「しっかり留守番していたよ」アピールをする3匹猫にTOPPOさんのお土産ちゅ〜るを2本も食べさせた。
そして本日。朝から「眼科に行かなくちゃ」と慌ただしかったTANUKIが出かけた後、TOPPOさんと2人、今時の旬な場所、小泉八雲記念館へ。文化センターは何かイベントがあるらしく第3駐車場まで開放していた。しかし、時間が早かったせいもあり、記念館そのものはゆっくりと見られた。それでも人が入ってくるあたり、NHK恐るべし…。
その後、おみやげを買うというTOPPOさんとかしはるへ。
さらに、蓮華寺池公園まで行って一回りの散歩。帰りにスーパーでお昼を買って充実の半日を過ごした。
そしたら何と、TANUKIは予約日を間違えていたようで、1人でむくれていた。
お昼を食べた後、TOPPOさんは余分な荷物は荷造りをして宅配へ。そのまま静岡駅まで送って今回は解散。相変わらずのドタバタの食い倒れツアーとなった。
TOPPOさんに撮ってもらったはな。⇒
25/12/16
急にホームページのアップができなくなった。安全性を高めたため、古いバージョンが使えなくなったらしい。
色々お知らせは来ていたらしいが、パソコン語が苦手で、意味が分からないままスルーしていたら、いきなりアウト。またしばらく解決が見つかるまでアップできずにイライラした日が続きそうだ。
25/12/8
昨日の『毎日新聞』で海原純子さんの『新・心のサプリ』で支援のメッセンジャーが居ればと安倍総理狙撃事件の犯人の子供の頃の家庭環境について書いていた。
『おせっかいで頼りになる大人が近くに居れば…』と纏めているが、それこそが地域の民生委員・児童委員、主任児童委員の役割なのだが、都会では心療内科医でも眼中にないのかと、ちょっとガッカリした。
江戸時代だったらば大家さんが介入するような、ちょっとしたトラブルや困りごとの相談に乗る民生委員制度はすでに大正時代からあった。当時は地域の有力者などが地域の人々が困窮しないようにという意識もあったようだが、ある程度余裕のある地域の商店主や中小企業の社長さん、農家の人あるいは余裕のある専業主婦などが引き受けていた。ほぼ無償のボランティア公務員なので、今や、相当高齢になるまでどこかでお金(生活費)を稼ぐ忙しい人々ばかりになり、定員に満たない所も多いようだが、今でも現存する全国組織である。
私が辞めてあっという間に10年以上経ったが、おりしもこの12月1日から新任期が始まった。
個人情報の保護の意識が高まり、都会のマンションなどではオートロックに阻まれながらも、地域の人々と知り合いになろうと努力をしている全国の民生委員さんがいる事を知ってほしい。
25/12/7
『俳句でおしゃべり』で湯冷めというお題が出ているので、幼い頃、お風呂屋さんに通っていた頃のことを思い出した。
ちょうど我が家から道路を西に行っても東に行っても徒歩15分程度の所に同じような規模のお風呂屋さんがあった。何故か祖母のお気に入りは西側、母は東側に通っていた。どちらかに連れられて行くので、結局、私は半々に通っていたかもしれない。今のように毎日お風呂に入るわけではなく、せいぜい週に2〜3回だった。
一時、叔父の家族も同居していた頃があり、赤ん坊だった従弟と叔母は早い時間に通っていたので、それに付いていく事もあった。祖母や母と行けば全身洗ってもらっていたが、叔母と一緒だと赤ちゃん連れなのでお姉ちゃん扱い(小学生にはなっていた…)、ササッと背中を洗ってくれるだけで、「はい交代」と叔母の背中を流していた。大変だろうによく誘ってくれたのは、横で赤ちゃんを見ていれば、安心して準備や着替えができたからかもしれない。
25/12/3
昨夜また歯を壊した…。1つ治すと1つ壊れるの鼬ごっこが、やっと終わりそうだったのに…。
丁度、最後に詰めた所の様子を見ながらいたのだが、別の以前に直したところの詰め物が取れてしまった。プラスチックの詰め物を見ると米粒大でずいぶんと小さいものなのだが、口の中の歯のクレーターはずいぶん大きく感じる。
結局、食べにくいし、これ以上被害が大きくならない内にと、急遽歯医者に行ってきた。
残念ながら、崩れるには崩れる理由があって、歯本体が弱くなって壊れているので、新たに詰め物を作り直す事になる。
25/12/2
暖かい天気は今日までらしい。
体調不良のまま動く気もせずに放っていた春用の鉢植えを3つ作った。そもそもシーズンも最後という事で、安い苗が選ぶほどに残っていない。パンジーとビオラ、葉ボタンで、入口のお出迎え用と庭のポイント用。まだ草だらけだし、半端に木の葉も残っているので庭のポイントに置いた鉢は映えないが…。
あまり根に触らずに植え込んだが、明日から寒くなるらしいので、無事に根付いてくれれば良いのだが…。
25/12/1
あっという間に今年も最後の1月になってしまった。先月半ばに風邪をひいて以来、ずっと体調不良だったので特にその感が強い。
それでも1番ひどかった時にけやきの会を欠席、その週の鍼治療と歯医者をキャンセルしたくらいで、低空飛行ながらなんとか無事にやって来れた。頭痛と鼻の症状は早々に消え、残ったのが咳だけ、しかもそれが多分アレルギーによる咳喘息と自覚しているから、人迷惑にならなければ良いやと思っている所もある。
しかし、さすがに体操教室に行く気持ちの余裕はなかった。ちょっと動いて咳き込んでいれば皆さんに迷惑だというのもあるが、体力的にも余裕がなかった。
年とともに段々ちょっとした不調も増えるだろうし、体力も落ちて無理は利かなくなるだろうが、もうしばらくはそれなりに自力で動いて行けたらありがたい。
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