ちょっとした感想   

25/5/30

   小泉農水大臣になって備蓄米の放出の動きがスムーズになった。
   米が国民ほとんどの主食としては異様な高値が続き、あるいは小売店の店頭から消えたりという異常事態に、騒動の鎮静化のためにも早いというのは大切な事だ。
   もう1つ、米を買ったらおかずに回すお金が無い、どころか米も買えないという悲鳴が上がっていたのを政治家先生や官僚はご存知だったろうか。とにかく、どこからか安い、食べられるコメを調達するのは必須だった。
   どこぞの政党が、来年は飼料になる米と言ったり、もっと高値で売れないのかというのは、単なる足の引っ張り合いにしか見えない。
   なぜならば、国民に主食の米が行き渡らないというのは、国家として大災害時並みの非常事態だからだ。
   マスコミなどで古いコメに対して「美味しくないのでは」という懸念が出ているが、保存技術の進化を侮っている。精米をそのまま置けばもちろん劣化するし、虫やカビの心配もしなければならないが、玄米を温度湿度を適度にした冷蔵庫で保存すれば、よほどの事がないかぎり虫やカビによる劣化は起こらず保存される。
   今回は農水省にしては消費者の方を向いた良い施策だったと思う。

25/5/27

   ここでもかなり以前に書いたかもしれないけれど、ネット上で出会った方々が亡くなられたという報に接する事が何度かあった。ある程度年代が上の方々の記事を見ていたため、年の順というならば仕方のない事だが、寂しかった覚えがある。
   最近はXで猫記事を楽しむことが増えたが、たて続けにお気に入りの猫さんが亡くなってしまった。
   1匹は20歳目前で病気で悪いというよりも老衰に近いのだろうなと見ていた。茶々の最後の頃の様子を思い出したりして20歳の誕生日まで頑張れと思っていたのだが…。飼い主さんはまだ思い切れないようだが天寿を全うしたのだと思う。
   もう1匹はお寺で飼われていた猫さん。親のミーコちゃんはまだまだ元気なので、こちらは何か病気だったのか。こちらも飼い主さん家族や仲間の猫達に見守られて安らかに旅立った。お寺の猫さんなので特典として飼い主のお住職のお経で見送られていた。
   驚いたのはどちらもフォロワーさんから実際に大量の献花が届いていること。多くの人達にとってXの中の世界が地続きの世界になっているのだなと思った。

25/5/23

   とうとうこの地でもスーパーに備蓄米らしいお米登場。5kgで3580円。普段食べている静岡コシヒカリが最近はその位の値段で出ているので、特に安いとは思わないが、とうとう登場というインパクトはあった。
   米売り場でたまたま通りかかった何人かで立ち話。「これが噂の…」と表示を確認したり、米粒を見たりしていたら、「私食べたよ」という人に遭遇。「お味はどうでしたか?」と聞いたら「普通に食べられたよ。特に美味しくもなかったし、不味くてダメでもなかった」というご感想。
   ちょうどお米を買い足した後だったので、今回は野次馬だったが、上手く出会えたら食べてみても良いかなと思う。
   変な話だが普通の食事に飛び切り美味しいお米は必要ない。食事全体のコントローラーとして、「今日のご飯美味しかった」となる方が良い。

25/5/20

   最近はガソリン代が高すぎて車で遠出をする事もなくなった。
   しかし、ご招待を頂いて中伊豆まで出かける用事ができたが、TANUKIが本当に歩けななくなってきているので、運転に自信が無いとは言っていられない。
   そんなわけで、本日は良い天気という事もあり御前崎までドライフに出かけた。ほぼ1本道で道に迷いようが無いのと、走り慣れた道でほぼ1時間ちょっとノンストップで着くので、あまり考えずに車の運転だけに集中できるのも、この道が私にとっての運転能力確認道路になっている。
   焼津を抜けるとほぼ渋滞もなく気楽なドライブ。TANUKIが寒いのお腹が痛いのとブツクサ言う以外はのどかなドライブ。普段立てっぱなしのシートを少し倒した方が長距離には楽らしいというのが1つ発見だった。
   残念ながらなぶら館は定休日。11時を過ぎたばかりだったが、魚料理のみはるで腰を落ち着けた。しかし、あっという間に混んできて、食事が届いた頃には12時。
   ゆっくりご飯を食べてネズミ塚公園へ。車から降りたTANUKIはそのままベンチに落ち着いてスマホをチェックするばかり。気分転換少し遊歩道を歩いてきたが、海は霞んで、でも波は高そうだった。
   本日はこのあたりで帰り道。時間的にはこの往復ノンストップ+&で中伊豆到着なのだが、東部の道路事情もだいぶ良くなったし、車のナビもだいぶ賢くなったので何とかなるだろう。

25/5/18

   とんでも歴史本はかなり好きなジャンルだ。しばらく前に『アマテラスの暗号』(伊勢谷武著/宝島社文庫)を買ってきたのだが、文庫本2冊の割には旧約聖書の知識が無くて、読みこなすのにかなり時間がかかった。それだけ楽しめたともいえるのだが…。
   現実世界での殺人事件に端を発したサスペンスと日ユ同祖論を扱っている小説だが、個人的好みからはサスペンス部分はちょっとお邪魔だった。
   日ユ同祖論は明治初めに1時流行ったらしいが、私はそんな説があったらしいという程度にしか知らなかった。
   それはともかく、日本の古い神社の祭りの形態や意味がよく分からないまま使っている古い日本語にユダヤ語だとするとそのまま意味が通るものが多々あるという。
   初めの手掛かりは『天の岩戸開き』の浮世絵。しかしこのアマテラスの話が取ってつけたようだが、という発想からアメリカで育った主人公が仲間とともに来日して伊勢神宮・諏訪神社・祇園祭などを見ながら思考を深めていく。旧約聖書との対応を考えながら、太古にユダヤ人が弓月の君・秦氏としてかなり大量に日本にやって来たと結論付けるのだが、日本の神社に秘蔵されていたアークを「見たかもしれない」というのはお話だろう。
   この手の話は『龍の棺』(高橋克彦著/祥伝社)でも楽しく読んだ。やはりアークと神輿を同一視していた。こちらは宇宙人に神のルーツを作っていたが…。
   日本での弥生時代以降、キリスト誕生からの西暦で現在は2000年ちょっと、それ以前にも地球上の各地に文明はあったし、人々は文明をもって暮らしていた。人も少ないし移動の時間もかかっただろうが、今に至る歴史をたどれる時間よりもずっと多くの時間の中で、人々が全地球上で交流していたかもしれないという事を否定するのも難しい。

25/5/15

   車を新しくしてから初めて静岡駅の駐車場まで足を延ばした。
   静岡市美術館で小野竹喬の世界展をやっているので、見たかったのだ。小野竹喬という日本画家は岡山県の笠岡出身、風景画が多いので、瀬戸内海の何となく懐かしい風景が見たかった。明治に生まれ、1979年に89歳で亡くなるまで、長く活躍されている。
   今回は笠岡市美術館の作品群という事で彼の一生の仕事をざっと眺めることができる。
   面白かったのが、1922年、ヨーロッパ旅行に出かけ海外の風景をスケッチした作品群の後、それまでの面で表現するような風景から、極細線を多用して繊細な作品を生み出している事、晩年はまた抽象ではないが色の面を生かした作品に戻っている事など、一つ一つの作品と向き合うのとは違う見方ができた。
   しばらくぶりにお町へ出たが、他に行きたい所もなく食事をして帰ってきたが、駐車場からの出口がほとんど歩行者天国状態で、かなり怖かった。

25/5/6

   毎日新聞『今年の米不足の遠因はおととしの暑さにコシヒカリが対応できなかった事が大きい』という記事が載っていた。特にコシヒカリの本家本元の新潟県での話のようだが…。
   昨年の夏の暑さは『熱中症警戒アラート』の出続けでよく覚えているのだが、一昨年も暑かった。しかも台風が予想外の日本海側を北上して北陸から東北へ何度か上陸したのも一昨年ではなかっただろうか。
   結果として品質の落ちる白未熟粒が増え収穫量・品質ともかなり落ちてしまったようだ。昨年はこの経験を糧として農家さんが色々と対応をしてそこまでの落ち込みはなかったらしいが。
   コシヒカリは確かに美味しいが、どちらかというと低温に対応した品種で、そろそろ高温対応の美味しい品種が台頭するのを消費者としても待ち望みたいと思う。そもそも稲は温暖な地の植物で、今まではその北限をどこまで伸ばせるかに品種改良の力を注いできたわけだが、今は暑さとの戦いにどこまで強いかが求められる。
   さらに日本農業の生産者の年齢は高齢化を続けている。省力化と高品質の2兎を追い求める必要がある。
   田圃は1度潰してしまえばまたすぐ作るという訳にはいかない。コメという主食を作る以外にも、日本の土地と水は田があるからこそ守られているという原点を忘れてしまうと、人が住む事の出来る土地は日本から消えかねない。

25/5/1

   あっという間に5月。今年は今日が八十八夜だそうだ。
   静岡は茶所という事もあり、昔から親戚や付き合いのある何人かに毎年新茶を少し送っている。ただ物だけをお店からポンと送るのも愛想が無いので、毎年この季節には、あちらこちらの茶畑の写真を撮りに行って、それを使って一言ご挨拶を書いて送る。
   以前は面白がってかなり広い範囲で撮り歩いていたが、最近はお茶の郷付近の牧之原茶園か玉露の里ばかり。ちょっと意外な所が島田のバラ園でバラを取り込みながら遠景の茶畑を狙うなど。いずれにせよ、車を安全に停めて置ける駐車場の近くになってしまっている。
   本日は玉露の里へ。ただ、玉露を作るにはすべて囲って遮光をしてしまうので、外からは見えないのが難なのだが、そこは観光施設、見学ができるようになっていた。





4月    6月