25/3/31
締め切りギリギリでようやくホームページの引っ越し作業が終わった。
転送設定をして全量を送ろうとしたら、量が多すぎて途中で目詰まりをしたまま、どこから手を付けたら良いのか困ってしまった。
とりあえず新サイト側のファイルマネージャーから呼び出す事ができると分かって、1つずつ送り込んだが、容量の多い所は1度にはいかず、その内にどこまで送ったか混乱して(ファイルの入る順が送り出す側と受け入れる側で位置が変わっているようで)散々手こずった。とりあえず何とか全量を送り込んでみれば、受け入れ容量から見れば微々たるもの。
まだまだできると思う一方、もう引っ越しは勘弁ねと言うのが正直なところだ。
25/3/22
組内の奥さんが亡くなられ、お通夜のお参りをしてきた。ご近所とはいえテリトリーが広く、最近はあまりお会いする機会もなかったが、年齢も近く、ずいぶんとお世話になった方だった。
だいぶ以前に脳卒中で倒れて歩くのがやや不自由だったが、それぞれ結婚されてお隣同士で住んでいた妹さんに助けられながら、避難訓練のような行事までしっかりと出て来られる方だった。
お子さん達は成人し、お孫さん達も大きくなっているのだが、まだまだ元気で居られる年齢、寂しく感じる。
25/3/17
春の彼岸の入りに合わせて八王子までお墓参り。
9時過ぎに家を出たものの郵便局で用事を済ませたり、道路情報を知りたくて富士川SAでウロウロしたりして行きはかなり時間を使った。
またまた寒の戻りで富士五湖道路の様子が分からずはらはらしたが、道路は大丈夫との事でGo。確かに道路は大丈夫だったが、周りは雪景色。真昼間でもあり、道路が凍り付いているわけでもないので無事だったが、脇に寄せられた雪が溶けだして水が流れているのが夜にはまた凍るのだろうなと思った。中央道に出てもしばらくは町も家の屋根も雪、木々に積もった雪も溶けきっておらずに乗っていて、どこに来てしまったのだろうという様子だった。
ほぼ予定通りに谷村PAでお昼。1時過ぎにはお墓に着いた。
ところがお墓でにわか雨。ササッと墓掃除をして花とお線香を立てて、一山越えた親戚のお墓へ。ここでしっかりと雨に降られ、お参りを済ませて家のお墓へ戻ったが、空は晴れて来ても雨は止まず。この天気なら大丈夫だろうと線香の燃え尽きるのも待たずに撤収。
帰り道は「けっこう降ったんだね」と言うほど道路がぬれていたが、空は晴れてきた。
相変わらずベタベタに混む圏央道の一区画を抜けて、中央道から富士五湖道路、東名高速を乗り継いで、5時頃には帰宅。清水で工事渋滞があったが、新東名へ流れる車も多いのか、昔ほどすっ飛ばす車も少なく、かなりゆったりと走る事が出来た。もっと使うかと思ったガソリンも予想ほど減らず、車の燃費も昔に比べるとずいぶん良くなったのかもしれない。
25/3/15
石破首相が自民党の1年生議員と官邸で会合を開き、そのお土産に10万円ずつの商品券を渡したそうだ。しかも、直接ではなく秘書が各個人事務所に届けたそうだ。
これは政治と金の問題がクローズアップされている中でアウトでしょう。仕事場から仕事場へのお金の動きとしかとらえられないし。さすがの1年生議員さん達も「お返ししました」と言う人が多いようだ。
「ご家族にも(議員になってもらうに当って)ご苦労を掛けた」との名目ならば、それぞれの自宅へもっと肩の凝らないご家族が喜びそうな手土産で良いのではないか、石破さんもやはり過去の時代の政治家だったのかというガッカリ感が残るニュースだった。
25/3/14
大相撲春場所が始まっている。
荒れる春場所とよく言うが、今回もすでに勝ちぱなしはなく誰が勝ってもおかしくない展開になっている。
昔のように時間をかけてお相撲さんになっていくわけではなく、中学・高校・大学と色々なトーナメントを勝ち進んで、横綱(優勝)を勝ち取ってきたような人達が大相撲の世界で戦っているわけで、やっている本人達の世界観が変わってきているのではないだろうか。
興行であることよりスポーツであることが強調されれば、横綱・大関への忖度も無く、ケガも増えるし、体重が重い分しっかり治すのには時間もかかるのではないだろうか。
そうであるならば、登ったら降りられないような地位を作るのはやめて、横綱などは引退時の功労賞として追贈するものにした方が良いのではないだろうか。
取り組みの方は、今場所生きが良く強いのは誰だを中心に回して行っても良いのではないだろうか。
25/3/11
昨日は東京大空襲から80年忌、本日は東日本大震災から14年忌、ともに多くの命が失われた。
東京大空襲は戦争中ではあるが、悪意を持って一般市民を多く殺そうという意図のもとに行われた。実際に10万以上の人が亡くなったらしい。大阪空襲の話は叔母から聞いているが、日本各地で起こった事をただ「この国の政治家がドジだった」とまとめてしまって良いのかどうか、そろそろ、きちんと歴史を紐解いて考える時だろう。
東日本大震災は自然災害ではあった。自然は人間に忖度はしない。しかし、原発事故、それぞれの地域の避難の仕方の問題、その後の復旧、さらには今、復興の道のりはこれで良いのか?、色々と検証を始める時ではないかて思う。
25/3/7
アメリカのトランプ大統領が『日本はわれわれを守らない』と言ったというので国会で質問が出て、石破総理が『日本は米軍への基地提供義務を負っており、一方的に米国が日本を守る関係だけではない』と国会で答弁したそうだ。もう1声頑張って「沖縄や横田・横須賀など全部の基地を返してくれればアメリカも日本の防衛に無理に責任を負わなくても良いよ」と言ってしまったらどうなるのだろうか。
戦後80年、そろそろ日本もきちんと自分の足で立ち、自分の頭で考え、立場を表明しても良いのではないだろうか。そもそも首都の一部を占領されたまま独立国とふんぞり返ってアメリカの方ばかり向いている日本の保守という立場の人達は何なのだろうか。
25/3/4
国会で予算案が修正の上、衆議院を通過したそうだ。
しかし、これがニュースになって良いのだろうか?
本来、国会に上がってきた議案を議員がああだ、こうだと言い合って最終的になるべく多くが納得するところに集約して、決まっていくものなのではないだろうか。それが無いならば我々はなぜあんなに多くの国会議員に高い給料を払っているのだろうか。
25/3/2
ここでは3月の第1日曜日の朝は津波避難訓練が行われる。
本日も行われたのだが、我々の所の1次避難所(津波に飲まれないようにやり過ごす)は近所の農協さんのビル(2F)の屋上なのだが、普段は安全のために鍵がかけられている。それもご丁寧に入り口と階段の登り口の下に戸があり、しっかりと鍵がかかっていたようだ。訓練時はそれなりの連携で開けるのだが、今日は開けられていなかったようだ。
防災無線から次々と情報が出るので、「今回はみんなアウトか…」と冗談も出たが、本当の災害時なら大変な事で、考えておかなければならない。
25/3/1
先月末の岡山行きは真冬の寒さだったが、ここ数日は急に暖かくなっている。スギ花粉も張り切って飛び出したようで、昨日はひどい目にあったが、飲み薬・点眼・点鼻と薬は揃えてあるので、今日はほどほどにしのげた。もう少し先手を取るのだったと悔やまれるが、どうもステロイド剤で先手を取るのは気が進まない。
この気温の乱高下は他の花にも影響を与えているようで、我が家の梅はまだ咲いている。さらに、朝比奈川沿いに河津桜の並木があるのだが、行った人が「まだ咲いてなくて、散歩だけしてきた」と言っていた。そういえばハクモクレンもそろそろ花時のはずだが、まだ見ていない。
花までなら、「何時咲くか」と楽しみにすることもできるが、これが野菜や米に影響をするとなると今年も何を食べれば良いのかという事になりかねない。